−プロローグ−(例作品) 作:柏秦透心
「ほら、リュンちゃん。お水だよー」 彼女は手に乗せた白いネズミに、手から滴り落ちる滴をかけた。キュッと短く鳴いた後、ネズミはパタパタ掌の上走り回った。 しかし少女の手はネズミが走り回るには狭く、車の上の少女の手から落ちてしまった。 「あ! リュンちゃん!」 「おっと! リュンビー、危ないぞ?」 タイミング良く少年がリュンビーを受け止め、彼はネズミに言い聞かせるようにすごんだ。 「ありがとマコちゃん!」 「あっぢー。まったくこんな水場がなきゃ俺達干物だぜ。おいキッシュ! あっち向いてろよ」 「なんで?」 車の上にいる少女は、きょとんとしながら首を傾げた。反対に彼の顔は、耳まで赤くなった。 「っ……あのなぁ〜、俺は女にわざわざ裸見せる趣味はねぇの」 「着替えしたいからって、言えばいいじゃないかヤスマ」 隣りでは、金髪の少年がタオルで頭を拭いていた。タオルの下からヤスマを不機嫌そうな目で注意したミッチは、車の上に視線を上げた。 「キッシュ。そういうわけだから向こう向いてるか、そっちで遊んでてくれる?」 「分かった!」 はーいと勢いよく手を挙げて、キッシュは車の向こう側を向いた。こちら側では、マーコルが泉から汲んだ水のタンクを積んでいた。 「マコちゃん。手伝おうか?」 「キッシュじゃ持てない。お前と同じくらいの重さがある」 「ふーん……」 「キッシュはもう水浴びしなくていいのか? 最初に入ったけど、その後俺達が入ってだいぶ経ったから、もう一回入った方がいいんじゃないのか?」 「大丈夫! 見てよ、まだ指先がふやけてるもの」 「そうか」 微かに笑んで、マーコルは作業に戻った。 「いいぞキッシュ! こっち向いて」 「ホント?」 振り返ると、二人は完璧に着替えを終えていた。ヤスマの黒髪も、ミッチの金髪も、照り付ける日を浴びてギラギラと光っていた。 タンクの積み込みが終わったのか、マーコルもこちら側に回って来た。これが、この旅のパーティー。シャアキッシュと、ヤスマ、ミッチ、マーコル、そしてリュンビーの4人と1匹の果てしない旅の物語。 マーコルの運転で、ジープを少々改造した車はちょっとした砂漠地帯を走っていた。 「水も手に入ったし。あとはこの砂漠から早く抜け出るだけだね」 「さすがにここまでの暑さは堪えるしね。キッシュ。町に着いたらアイスシャーベット食べよう」 「やったー!」 「それより飯だよ飯! おいマコ。あとどのくらい行けばこの暑さどうにかなるんだよ」 ヤスマは前に乗り出した。 「さあな。それより怪我したくなかったらおとなしくしてろ」 「ヤッくんもミーくんもすごかったね、泳ぐの。今度キッシュにも教えて!」 「なんだキッシュ。お前泳げないのか? よし、今度は海だな。海に行ったら俺が教えてやるよ」 「その前に買い物に行かなきゃね。僕がとびきりのやつを買ってあげるよ」 「何を?」 「……泳ぐ時に着るやつ」 「やったー!」 キッシュは大喜びで両手を上げた。が次の瞬間、しぼむように手が降りた。 「どした? キッシュ」 「“ウミ”ってなぁに?」 一呼吸あってから、三人が三人ともズッコケた。 「海、知らなかったんだな……」 「海見たことないのかキッシュは」 「うん。マコちゃんは見たことあるの?」 「ある。ずーっとどこまでも続いてる大きな水溜まりって言えばいいのか?」 「海には波ってものがあって、あと水がしょっぱいんだよ」 「誰かがお塩こぼしたの?」 キッシュは手の中のリュンビーを撫でていた。 舗装されていない道で車が揺れる中、キッシュの言葉に男三人組はお腹を抱えて笑う。なぜ笑うのかと、キッシュは頬を膨らませた。 「ごめんごめん、キッシュ。海は元々塩水なんだ。だから川とは住んでる魚も違う」 「ふーん」 「じゃ絶対次は海だな!」 向かい側に座るキッシュをヤスマはくしゃくしゃと撫でる。キッシュもそうされるのは好きだった。 日が沈む時間近くになって、ようやく砂漠を抜け出た所に町を見つけた。 とりあえず今晩の寝る場所だけは確保出来そうで、みんな胸を撫で下ろした。 「はい、みんな一部屋ずつで。あー支払いはこのカードで」 今夜の宿のフロントで、ミッチは黒光りするカードを提示していた。いつものことながら、こういうことに彼はとても手慣れている。 「コビッチのご子息様でしたか」 「えぇ、まあ」 ミッチ・コビッチ。彼は何を隠そう、世界を股にかけるコビッチコンツェルンの末息子で、筋金入りのいわばお坊ちゃまなのだ。と、言っても先程ちらりと見せたカードに入る億単位とも言われる額の資金は、コビッチの名だから持っているわけではない。そのお金は彼の才能によって生み出されたものなのだ。 話をつけ終わったのか、鍵を4つぶら下げて彼は戻って来た。 「お待たせ。さ、お姫様。部屋の鍵をどうぞ」 わざとらしく跪いて、1つの鍵をキッシュに差し出した。受け取られると立ち上がって、他の二人に残りの鍵を放り投げた。 「ナイトの僕らは、姫の両隣りと真向かい」 キザな笑顔を見せつける。 「そうだ。キッシュ、アイスシャーベット食べに行こうか」 「飯が先だろ飯が。おれ腹へって死ぬっつの」 「外にでも食べに行くか」 宿を出た前は町のメインストリートだった。 近くに評判のいい店があることをミッチはフロントから聞き出した。 「うわーおいしそう! キッシュ、スパゲティでしょ。ピラフとオムレツでしょ。それから、オレンジジューシ!」 「よし。オヤジ! 俺はラーメンだろ。餃子に肉まん。あとワンタンスープ。それから──」 順番に次々と注文していったが、あまりに空腹だったのか特にヤスマの食いぶりは凄まじかった。 「アイスシャーベットは最後でいいよね」 「アレは俺、赤のにミルクたっぷりな」 「えー。キッシュ青いのがいい」 「じゃ僕も青いの。マコは?」 「金時」 氷を細かく削ったものにシロップなどをかけるデザートで、砂漠地帯の道を来た彼らには最高だった。 店を出ると、すっかり日が暮れていた。三人が出た後から、支払いを済ませたミッチが最後に出て来た。 支払いに使ったカードをしまおうとした時、一人の通りがかった男が彼とぶつかり、衝撃で思わずミッチは尻餅をついてしまった。 「いっ、たたたた……」 「ボケッと突っ立ってんな!」 文句を言うなり男はそそくさと行ってしまった。 「何あの人! ひっどーい。ミーくん大丈夫!」 「大丈夫だよキッシュ。……ん?」 はたと気付いて、ミッチは全身のポケットや財布を調べ始めた。 「……やられた」 「あ?」 「どうしたの?」 キュキュっ、とリュンビーも胸ポケットから顔を出した。 「スられたのか? ミッチ」 「さっきのカードをね」 驚いたキッシュとヤスマをよそに、二人は冷静に話しを続ける。ヤスマは犯人を追いかける気だったようだが、その必要はないと言われて、少し不満気だった。 「あぁもしもし? カード盗まれたから止めてくれる。番号は──」 すぐに手持ちの携帯電話と言うものを取り出して、クレジット会社にストップをかけた。 「さ。これで犯人はあのカードを使えない。付いてる発信機で、二日もしないうちに犯人も捕まるだろうしね」 「カード……カードはどうすんだよカードは! あれなきゃ俺ら一文無しだぞ!?」 「バカだなあヤスマ。僕がそんなヘマだと思ってるのか?」 「じゃあどうするの?」 「心配しなくても、ホラ!」 彼は財布から別のカードを取り出して見せた。 「1つの所じゃ収まり切らなくてね。だから最初に言っただろ? 旅の仲間に入れてもらうかわりに、僕が全資金を請け負うって」 「まだカードがあったの?!」 あとの二人は口をパクパクさせていた。カードを、しかもゴールドではなく黒のカードを持っているだけでも最初に驚いたというのに、まだもう一枚あるというのは、二人には考えもつかない世界だった。 「……しかし物騒だな。キッシュ、気をつけるんだぞ」 「ん? うん、分かった」 なぜマコちゃんはミーくんではなく自分にそんなことを言うのかと思ったが、マコちゃんが言う事だから聞いておこうと、キッシュはそれ以上考えなかった。 その4人の歩く姿は、心なしかいつもより男三人組がさらにキッシュを囲む距離が狭まって見えた。 部屋に戻ったキッシュは、シャワーで一日の汗を流した。 「ふぅ。リュンちゃんも気持ちよかったよねぇ」 リュンビーや自分の頭を拭いていると、部屋のドアがノックされた。開けると壁のように立つマーコルがキッシュを見下ろしている。 「あ、マコちゃん!」 「頭が生乾きじゃないか」 「あー、今シャワー浴びたの」 「タオル」 言うと手からタオルを奪い、彼女の頭をわしゃわしゃと拭き始めた。 「早めに乾かさないと風邪を引く」 「うん」 ヤスマやミッチから比べると、マーコルは口数が少ない。 普段話題がない限りは、要点のみで会話が終了という事態になる。単に生真面目で浮ついた所がこれっぽっちもない誠実な性格ゆえなのだが、そのガタイのよさやゴツい顔立ちもあってかよく見知らぬ人間からは誤解を抱かれやすい。ただ唯一キッシュに対してはその堅苦しさがほんの少し和らぐらしく、またキッシュも大きな手で優しく包むように何か心遣いをしてくれることを分かっているので、マーコルのことが大好きだった。 もちろん他の二人も同じだ。 「ほら、乾いたぞ」 「本当だ! ありがとマコちゃん」 えへへと笑うキッシュを、マーコルも愛しく思っていた。 すると今度はいきなりドアを開けて入って来た者がいた。 「キ〜ッシュ! ってなんだよ、マコもいたのかよぉ。なーなートランプやらないか?」 「まったくいつでも騒々しい奴だ」 マーコルは呆れたのか腕を組んだ。 「だって寝れねぇんだよ。な、キッシュ。トランプやろうぜ!」 「うん、やる!」 一方のキッシュは大喜びでヤスマの誘いに飛びつく。 さっそくベッドの上で配り始めたトランプのカードを、キッシュは寝転がって見ていた。 二度ある事は三度ある。その間にノックをしてから今度はミッチが部屋に現れた。 「なんだ。二人とも抜け駆けなんてズルいよ」 「ミーくん! あのねっ、ヤッくんがトランプやろうって。ミーくんもやろ!?」 「そうだな。うん、僕も混ざるか。マコもやるんだろ?」 ベッドの脇に椅子を寄せていたマーコルは、椅子をもう一つべッドに寄せながら答えた。 「あぁ。それより手に持っているのはなんだ?」 マーコルの目が彼の手に握られた紙に止まった。ああこれと、ミッチは紙を前に出した。 「ここら辺の地図。フロントに行ってもらって来たから、みんなで見ようと思ってね。マコはどうしたの?」 「キッシュがちゃんと寝たかと思って。案の定、頭生乾き状態だったんでな」 「……それ、過保護だよマコ」 「よーし、ミッチの分わけ直したぞ」 待ってましたとばかりにキッシュは素早く自分の分を取った。それを見て他の三人も次々に自分の分を取った。 「じゃ〜んけ〜ん――」 ぽんと出した4人の勝敗は、ヤスマの一人負け。 「ヤッくんが一人グー」 「いつも始めはグーだからねヤスマは」 一人負けに固まっていたヤスマは、ミッチの一言で我に返った。 「るっせぇなあ。早く次決めろ、次」 ポーカーを始めると、いつも4人の輪は大騒ぎだった。ヤスマは例外だが、普段は何事にもどっしり岩のようなマーコルも自然と口数も増え、キザに振る舞うミッチも年相応の幼さを見せる。4人でおおはしゃぎするひとときが、キッシュは一番好きだった。 「よっしゃあ! ストレートフラッシュ。ざまぁみろ!」 「一回勝ったくらいで騒ぐな阿呆が」 「なんだと! おいキッシュ、聞いたか今のっ──」 三人が振り向くと、すやすやと寝息を立ててキッシュは寝てしまっていた。丸くなって寝るものだから、小柄な彼女の体がさらに小さく見える。 リュンビーもどうやったのか、器用にキッシュの手の中に潜り込んで寝ていた。 あまりに二人は、いや一人と一匹が小さくなって寝ている姿が愛らしかった。ふっと笑ったのに気付いて、苦笑したのは男同士の秘密。 マーコルが寝かし直して、三人は部屋を出た。 「おやすみ」 と囁いて。 陽も昇り切った頃、エンジンの掛かる音が建物の乱立する中で響いた。 「どうする?」 「キッシュ?」 乗り込んだキッシュに、全員の視線が集まる。 「旅は西って決まってるでしょ!」 とびきりの笑顔で彼女は答えた。
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